少し、気分転換に宗像の方に行ってきました。
いつも頭を使って疲れていますから、頭を休めるために行ったのですが、結局、色々と考えさせられることがありました。
宗像市の観光スポット、「街道の駅 赤馬館」に行ってきたのですが、近くに、出光興産創業者の出光佐三の生家や展示室があるという事で、行ってみました。
なかなか良い言葉がありましたので紹介しますね。
無私
宗教などを学ぶと、基本的な考え方として良く出てくる言葉かもしれませんが、無宗教の人が多い日本人には、あまりなじみのない言葉、発想かもしれません。
自分を無にする、という事ですから、自分のために行動するのではなく、世のため人のために行動するということになると思います。
非常にシンプルですが、このシンプルな発想が多くの人の心にあれば、世の中は幸福になるだろうと考えられると思います。
宗教となると、妄信すること、問題の種になる事と考える人が多いと思いますが、宗教的な発想は、世の中を良くするためには必要なものかもしれません。
人間尊重、信仰心
「仕事の目的は、金儲けではなく、人間を作る事」との事。
企業は、金儲けという側面と、社会貢献という側面があります。
お金が汚いというつもりはありませんが、どうしても、利益が優先されると、社会に悪影響を与える原因になります。
ある選択肢が出てきたときに、経済的な利益を優先して、人や社会に悪影響を与えるか、人や社会の利益を優先して、経済的な利益を後回しにするかを選ぶ事になります。
人生はそのような選択の連続ですから、あまりにも、経済を優先しすぎると、どんどん社会を悪くしてわけです。
「仕事や会社の目的は、社会貢献、お金儲けは手段。」と考える事が重要なのではと思います。
「目的はお金儲けで、社会貢献は手段」というのでは、世の中狂ってくるでしょう。
でも、それが資本主義なのでしょうかね。
また、信仰心というのは、非常に重要なようですが、自分にはまだまだ生かせていないように思います。
信じるというのは、一歩間違えれば妄信、狂信になります。
信仰心というのは、やみくもに信じるのではなく、まず、根拠のある事を信じる事が重要であり、無私の活動をする中で、自然に深まっていくものかもしれないと思います。
信用、苦労の大切さ
信用を落としてまで金儲けはしないというのは、自分も共感できるものかなと思います。
また、最近は、インターネットの普及によって、何でも明るみに出るようになりました。
昔であれば、ごまかしも効いたかもしれませんが、現在は難しくなってきているように思います。
例えば、整体師なので、健康・医療についてお話しすると、以前であれば、お客さんは、無知だったため、疑う事もなく、言われるままになっていましたが、素人でも専門的な知識が、瞬時に入手できるようになりましたから、その知識を元に判断できるようになりました。
悪い評判もすぐに広まります。
現在は、昔のように、「正直者が馬鹿を見る」社会ではなくなってきているのではと思います。
ですから、昔以上に、正直に生きた方が得するようになってきたのではと思います。
「苦労をすればするほど人間は完成に近づく」というのも金言だなと思います。
確かに、振り返ってみると、楽で、何の悩みもない時は、得られるものもなかったように思います。
人生のどん底の時こそ、様々な事を学び、人間性が磨かれたように思います。
しかし、自ら誤った方向に進み、不要な苦労を作らないようにすることは大切かなと思います。
最近は、中道が大事かなと思っています。
互譲互助
互譲(譲り合い)、互助(助け合う)、これもより良い世の中にするための基本的な価値観だと思います。
現在は、どうしても金に物を言わせて、自分の都合の良いように、世の中をコントロールしようとする人が多くいると思いますし、そのような人たちによって、世の中は動かされていると思いますが、このような精神を持つ人が増えないかぎりは、幸福は得られないと思います。
どこぞの社長さんに見てもらいたいですね。
出光佐三のお墓参り
近くに、出光佐三のお墓もあるということでしたので、これだけの言葉を残した人物であれば、お墓参りもしておきたいと思い、行ってみる事にしました。
距離にして数百メートル程度でした。
自分自身も、多少は、人のために役に立っていると思いますし、誠実にやっていますから、ひょっとしたら、出光佐三の力をほんの少しでもいただけるかなと、淡い願望を抱きつつ、お墓に向かって、手を合わせました。
病気で困っている人を癒やすのも大切ですが、幸せになるための考え方を知ってもらう事も大切なのではと思い、出光さんの言葉を拝借させていただきました。
出光さんも天国で喜んでくれているでしょうかね。