西洋医学は様々な病気を改善し、人類の健康に寄与してきました。
しかし、特に、慢性的な疾患に対しては、十分な成果を上げられておらず、根本的には治せない病気が数多く存在します。
そのため、補完代替療法が見直されてきています。
インターネットの普及によって、様々な情報を入手できるようになってきたために、西洋医学に肯定的な意見、否定的な意見の両方が見られますが、これらについて、そもそも、どのようにとらえればよいかについて考えてみます。
西洋医学はそんなに優れている?
お医者さんの中には、西洋医学以外の民間療法を頭ごなしに否定される方もいると思います。
しかし、実際には、その医師自体が、民間療法の効果について、あまりご存じなかったりすると思います。
また、医師の中には、病院がやっていることが治らない事をやっているという事を理解した上でされている人もいます。
ひどい例になると、精神科などでは、全くでたらめな病名をつけて、精神病棟に閉じ込め、金づるにしているところもあるようです。
結局、医療費がかさむようになってきたために、患者を長期間入院させることができなくなってきたことが背景にあると考えられます。
例えば、あなたが、病気でも何でもないにも関わらず、全く根拠のない病名をつけられて、精神病棟に閉じ込められ、出たいと思っても、何かしら理由を付けられて、出ることができない状態にされた場合はどうでしょうか?
そして、家族も医師の話を真に受けて、あなたの話などに耳を貸さずに、退院させまいとしたらどうでしょう?
恐ろしいとは思われないでしょうか?
「そんな話があるか。」と思われるかもしれませんが、実際にあります。
調べて見られれば分かります。
補完代替療法の方が優れている?
では、西洋医学に問題があるからと言って、単純に補完代替療法の方が優れていると言えるでしょうか?
これはこれでイエスとは言えないと思います。
治療院には、整骨院、整体院、鍼灸院、気功院、カイロプラクティックなど様々なものがありますが、これらは、技術力などピンキリだと思います。
温泉の効能くらいの効果しかなく、効いているかどうかも分からないものもあれば、中にはかなりの確率で改善させ、医療にとっては必要不可欠と思われるところもあると思います。
結局、人の手でするものですから、治療家の技術力によって、効果に雲泥の差が出てきてしまうわけです。
その他、漢方やサプリメント、栄養療法、運動療法、催眠療法など数え上げればきりがありませんが、効果はピンキリだと思われます。
健康にとって大切なものは、食事、運動、睡眠、考え方などだと思います。
整体的に見れば、姿勢なども重要になってきます。
このことを考えれば、様々な補完代替療法を組み合わせれば、優れた治療法が確立できると思うのですが、なかなかそうはいかないようです。
結局どちらが優れている?
当たり前と言えば、当たり前だと思いますが、結局のところ、どちらが優れているという議論自体が不毛だろうと思います。
西洋医学が優れている面もあれば、補完代替療法が優れている面もあります。
このことは改めて議論することもないかと思います。
しかし、物事を何でも白か黒かで判断する人は多いのではないでしょうか?
白か黒かの二極思考でいいのか?
最近は、インターネットの普及もあり、物事を白か黒か、善か悪かの極端な判断をする人が多く出てきているように思われます。
例えば、自国第一主義などがあると思います。
愛国心も大切かもしれませんが、自国だけ良ければ良いという考えが良くないという事はなんとなくは理解できるのではないかと思います。
自国の人間が幸せで、海外の人間が不幸であって良いというのが、理不尽であるという事はある程度理解力のある人なら改めて説明することもないと思います。
また、SNSの普及なども大きいように思われます。
一般の方が大多数の人にメッセージを送信できるために、間違った理解をしている人の意見が広まることもあります。
そして、過激な発言をする人の方が、感情に訴えますので、広まりやすい傾向にあります。
つまりは、偏った人の意見の方が、広まりやすくなってしまうわけです。
以前は、テレビや新聞などから情報を得ていましたので、それほどいい加減な情報を流すことはできませんでした。
現在はそれができてしまう危険性があるわけです。
真理は神のみぞ知る
「本当に正しいことは神のみぞ知る。」
このような事を書くと、宗教的だと思われるかもしれませんが、物の道理を説いているにすぎません。
白か黒かという判断の根底には、「自分の考えが絶対に正しい。」という前提があると思います。
自分が正しいから、相手が間違っているということになるわけです。
自国第一主義の例を考えてみます。
例えば、自分の嫌いな国があったとします。
「○○人はマナーも悪いし、犯罪も多いし、気に入らない。」と考えていたとします。
しかし、○○人のすべての人間がそうであるわけではありませんし、その中には、人権活動家のような、自分とは比較にならないほど優れた人間もいると思います。
つまり、このように、単純に善か悪かなどといったレッテル貼りはできないということが分かると思います。
自分と意見が対立する人間の中にも優れた人間がいますし、間違っている中にも、その人なりに正しい事があるわけです。
さらには、自分の理解不足で、実際には、違った立場の人間の方が、よほど、正しい判断をしていることもあると考えられます。
このように考えれば、物事を白か黒かで判断する事がいかに理不尽な事であるかがわかると思います。
聖書に以下のようなくだりがあります。
「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって「あなたの目からおが屑を取らせてください」と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。」
(イエス・キリスト)
また、次のようなくだりもあります。
「この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」
(イエス・キリスト)
自分自身はクリスチャンではありませんが、思想、哲学と言うものが、いかに大切なものであるかが理解できると思います。
西洋医学が素晴らしだの、補完代替療法の方が優れているだのという議論の前に、こういった考え方が根底に必要という事が分かるのではないでしょうか?
結局のところ、医療、その他の様々な問題の根底に、こういった、思想、哲学、といったものの欠如があるように思われます。
こういったことは、判断力の問題であるように思われます。
お医者さんの中にも、物事を白か黒かで判断される人がいると思いますが、知性とこういった物事の本質をとらえる洞察力などというものは、また別の要素であるという事が分かるのではないかと思います。
お釈迦様の言葉には以下のようなものがあります。
「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。怨みを捨ててこそ息む。これは永遠の真理である。」
(釈迦)
善か悪か、白か黒かの二極思考が人々を分断し、争いの種をまいてはいないでしょうか?