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人間は、生きていると、病気などの様々な苦しみや問題に遭遇する事があると思います。
そういった困難な状況があれば、解決できるものは解決すれば良いと思いますが、なかなか乗り越える事が出来ない場合は、精神的にも追い詰められてしまうものかもしれません。
そういった場合に役立ちそうなものとして、「(人間万事)塞翁が馬」という言葉がありますので、これについて考えてみます。
塞翁が馬とは
塞翁が馬の話を簡単に説明すると、以下のようになります。
中国に住んでいた老人が飼っている馬が逃げ出してしまいましたが、しばらくして立派な馬を引き連れて帰ってきました。
しかし、老人の息子がその馬に乗っていると落馬して怪我をしてしまいました。
ですが、けがをしたために、兵役を逃れ、命拾いする事となりました。
つまり、塞翁が馬とは、人生の幸不幸は、移り変わり、人間には予測できないという意味になります。
病気や困難のとらえ方
では、病気や困難については、どのようにとらえられるでしょうか?
一般的には、苦しい事や悲しい事よりも、楽しい事や嬉しい事などの方が、幸せだと思われるかもしれませんが、必ずしもそうとは言い切れないのではないかと思います。
例えば、病気で痛い思いをしたり、精神的に落ち込んでいたりする場合はどうでしょうか?
その時は、「苦しい。」、「早く楽になりたい。」、「何で自分だけこんな目にあわなければならないんだ。」など、不幸な出来事にしかとらえられないかもしれません。
しかし、病気は必ずしも不幸な出来事とは言い切れない部分もあると思います。
病気になる事で、家族間でも様々な言い争いや心の葛藤なども経験するかもしれません。
それがさらに憎しみや恨み、後悔、罪悪感などの心の苦しみをもたらすこともあると思います。
しかし、そのことによって、家族全体が、これまでの自分の行いを振り返り、反省し、様々な気づきを得て、生き方を改め、調和が生まれるかもしれません。
そうなれば、まさに「塞翁が馬」という事になると思います。
幸も不幸も受け止め方次第?
先ほどの例では、「一般的に不幸と思われている出来事も、実際は、幸福な出来事の予兆に過ぎないともとらえられる」という解釈でしたが、さらに言えば、「不幸な出来事など、とらえ方次第で、幸福な出来事に転換できる」とも言えると思います。
病気になる事で、苦しんでいる人の気持ちが分かり、慈悲心が高まるかもしれません。
苦しみに耐えるだけの忍耐力を養えるかもしれません。
世の中を良くしたいという奉仕の精神が高まるかもしれません。
それによって、その後の人生がより良い方向へと進んでいくかもしれません。
逆に言えば、「自分はなんて不幸な人間なんだ。」と考える事で、破滅の道を歩むことになるかもしれません。
もちろん、病気で苦しんでいる時に、プラスに考えろと言われても難しいと思われますが、こういった事を知っておくことで、どんどん間違った方向へ進んでいく事は回避できるのではと思います。
自分も、塞翁が馬という言葉を知って、「なかなか有益な言葉ではないか。」と思ったのですが、「一見不幸に見える出来事も、実際は、幸福な出来事の前触れかもしれないよ。」という意味だけでなく、「不幸な出来事も、自分の対応次第で、幸福な出来事に転換できるよ。」という意味も込めてもらえたらなお良かったのではと思いました。
自分のケースの塞翁が馬
私事で恐縮ですが、自分はもともと、整体師になろうなどとは微塵も考えてはいませんでした。
しかし、自分が病気で苦しみ、整体によって救われたことで、整体の道を志すことにしました。
体調を崩す前は、大企業に就職し、安定した収入を得る事が目標だったわけです。
現在では、整体師になる事が出来て、本当に良かったと思っています。
天職だと思っていますし、多くの人の役に立つ事が出来ますし、非常に意義のある仕事だと思っているためです。
人生において、何が大切かなど、ある程度人生経験を積まなければ、なかなか推し量る事はできないのではと思います。
先人の知恵を活用する
塞翁が馬の話など、紀元前つまり、2000年以上も前の話です。
しかし、この現代にも活用できる知恵がありますし、2000年以上前の人が気づいていた事にも気づいていない人が大勢いらっしゃるとも言えると思います。
こういった、言葉を学ぶこと、先人の知恵を知る事も、現在抱えている問題に対処するために、有益ではないかと思います。
思想・哲学なども、この際に学んでみてはいかがでしょうか?